- ペルシア・イランの船乗りは、少なくともサーサーン朝期からインド洋交易で重要な役割を果たしました。ペルシア湾、東アフリカ、インド、東南アジア、中国を結ぶ広いネットワークを築いたのです。
- ペルシア湾の代表的な船であるダウ船は、ココヤシ繊維などで板材を縫い合わせる「縫合船体」の技術で知られ、近代まで使われました。
- イスラム黄金時代には、航海書、天文表、沿岸案内が整備され、インド洋航海の技術的基盤が深まりました。
- アラブ、ペルシア、インドの船乗りの貢献は重なり合っており、前近代の海上世界では民族や言語の境界は現在ほど固定的ではありませんでした。
- シーラーフは8〜10世紀にインド洋有数の交易港として栄えました。
- 『中国・インド見聞録』(9世紀頃)は、ペルシア湾から中国へ向かう海路を伝える早期のアラビア語資料です。
- サーサーン朝期のペルシア商人は、中国側資料にも早い段階から登場します。
- ダウ船の縫合船体は、鉄釘を使わず植物繊維で板を固定する技法として知られます。
- イブン・バットゥータはホルムズ、インド、東アフリカを結ぶ航海を記録し、ダウ船の実像を伝えています。
古代世界のペルシア船乗りとは誰か
ペルシア人の海上活動はサーサーン朝よりさらに古く、アケメネス朝期にはペルシア湾とインド洋への関心がすでに見られます。陸の帝国というイメージの裏で、海は交易と外交の重要な通路でした。
イスラム支配への移行後も、ペルシアの商人、船乗り、航海者は活動を続けました。むしろアラビア語圏の広がりにより、ペルシア湾の海上ネットワークはさらに大きな世界と結ばれました。
ダウ船とはどのような船か
ダウ船はペルシア湾、アラビア海、インド洋で使われた帆船の総称です。地域や用途により形は異なりますが、三角帆に近いラティーン帆と、長距離交易に適した船体が特徴です。
縫合船体は特に有名です。板材を鉄釘ではなく植物繊維のロープで縫うように固定する技法で、しなやかさと修理のしやすさを持っていました。
インド洋をどう航海したのか
ペルシア湾の航海者は、星、季節風、潮流、沿岸の目印を組み合わせて航海しました。カマルと呼ばれる簡単な板と紐の道具は、北極星の高度を測り緯度を把握するのに使われました。
インド洋交易の基本は季節風でした。夏と冬で風向きが変わるため、船は出発と帰港の季節を待ち、港町はそのリズムに合わせて動きました。
どこで交易し、何を運んだのか
ペルシア湾の船は、東アフリカ、西インド、スリランカ、東南アジア、中国へ向かいました。馬、真珠、ナツメヤシ、ガラス器、織物などが運ばれ、帰路には香料、木材、陶磁器、絹などが流通しました。
シーラーフが衰退した後、ホルムズは中世インド洋世界の大きな交易都市となりました。そこには言語、宗教、商品、船が集まり、海の都市らしい国際性が生まれました。
中国航海文化との接点
唐代以降、ペルシア湾の商人は広州など中国南方の港に到達していました。広州には外国商人の居住区や礼拝施設があり、中国とインド洋世界が実際につながっていたことを示します。
ペルシア湾のダウ船と中国ジャンク船は、同じインド洋交易圏で出会いました。どちらが優れていたかという単純な比較ではなく、それぞれが自分の海域、風、積荷、港に合わせて発達した船だったのです。

Traditional Chinese Sailing Junk Model — 泉州や広州でペルシア湾商人が出会った中国船の系譜を、手作り木製模型として表現しています。
参考資料・Further Reading
- Hourani, George F. Arab Seafaring in the Indian Ocean. Princeton University Press, 1951.
- Prange, Sebastian R. Monsoon Islam. Cambridge University Press, 2018.
- Sulayman al-Tajir. Akhbar al-Sin wa’l-Hind, c. 851.
- Ibn Battuta. Rihla, c. 1355.
- Encyclopædia Britannica. “Dhow.”
- UNESCO. “Siraf (Taheri).”
Note: ヴァスコ・ダ・ガマをアフマド・イブン・マージドが案内したという説は伝統的には語られますが、現代研究では議論があります。
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